銀の談話室にて、深淵を覗む

しがない世界で牛丼屋

三話「不朽の街に、刻は燃ゆる」



「街へ行こうか」
 こちらの世界に来て一週間。俺がすでに日課となったナディの実の調理を行っていると、先生は唐突にそんなことを言い出した。
「でも、俺は外に出ない方がいいって話じゃ?」
 ステラに初めての料理を作った後、先生は転生者である俺が目立たぬよう、当面はあまり外に出ない方がいいと話していた。
 聞いた当初は窮屈な生活になると思ったが、ステラが集めて来てくれた材料で料理を作ることができたので、意外に楽しい生活だった。
 牛丼の禁断症状には日々悩まされているが。
「君がわたしの弟子だという根回しがやっと整ってね。君も早くこちらの世界に慣れたほうがいいし、いつまでも引きこもっているわけにもいかないだろう」
 先生はそう言うと、俺が作っていたナディジャムのタルトを横から奪って口へと放りこむ。
「あ、こら。つまみ食いしないでください」
 返せとばかりに先生の頬をつかむが、先生はもごもごというばかり。なぜか勝ち誇ったような顔をしていることに腹が立つ。
 しかし、先生の外出が多いと思ったら、俺がこの世界で生きていけるように根回しをやってくれていたのか。なんだかんだと世話になってしまっている。見た目はうさんくさいが。
「むぐ……やはり君の料理は素晴らしい」
「じゃあ、ちゃんとご飯の時に食べてください」
 ふぅ、とため息を吐いて先生を半目でにらむ。思えば先生の扱いにもなんとなく慣れてきた。
「それで、どうかな。街へ行ってみる気はあるかい? わたしの家ばかりでは窮屈だったろう」
「意外と暇はしてなかったですけど。でも、街か……」
 確かに異世界の街がどんなものなのか興味はある。そして、それ以上になにか新しい食材を見つけられるかもしれないという期待も。
 もちろん、ここは料理という文化がない世界なのだ、市場や飲食店があるとは思えない。
 それでも自分がなぜここにいるかもわからない俺が今やれることといえば、ステラや先生に料理を作るくらいだ。その幅を増やせるなら足を伸ばしてみる価値はあるだろう。
 それに、もし食材として利用できるものが見つかれば牛丼だって作れるようになるかもしれない。
 ……うん、それは素晴らしい。行こう、行くしかない。
「そうですね。はい、行ってみたいです」
「よし、そうと決まればすぐに出発しよう。用意をしてくるからステラ君を呼んでおいてくれるかな」
 先生はそう言い残すと白衣を翻して、自分の部屋へと戻っていく。
 俺はふと思い立って、出来上がったタルトを包む。初めての外出なのだ、外で食事をするのも悪くないだろう。




 先生の家を出て数時間、俺はステラに魔法の使い方を教えてもらいながら、街へと向かって草原を歩いていた。
「それでね、始動石しどうせきに集中して……」
「始動石?」
「あ、手に埋まってる石のことだよー」
 ステラがひらひらと手を振って、右手に埋まった石を見せてくる。これは始動石って名前だったのか。意外と仰々しい名前だな……。
「あとは呪文を唱えながら、起こしたい魔法を想像すればいいの」
「魔法を想像……」
「つゆだく君も早く魔法を起こせるようにならないとね」
 先導して歩く先生が振り返って、にやりと笑う。どうもこの世界では立って歩く、喋る、と同じように魔法を使うことは当たり前のことらしく、大の大人である俺が魔法を使えないのはかなり恥ずかしいことだという。
「でも、想像っていわれてもなあ……」
 先生やステラが魔法を使うのはこれまでの生活で幾度となく見てきたが、自分が魔法を使えるという実感がまだない。
「そこは慣れもあるだろうね。よし、では街に着くまでに魔法について、基本的な知識を教えてあげよう」
 先生はわざとらしく眼鏡をクイッと持ち上げると魔法についての講座を始めてくれた。
「まずは、魔法の持つ四つの属性について説明しよう。つゆだく君、君はどんな魔法をこれまでに見てきたかな?」
「どんな魔法、ですか……?」
 俺はこの世界に来てからのことを思い返す。最初に見たのは先生が起こした火の魔法。次もステラが起こしてくれた火の魔法だった。最近の生活では料理のためによくステラに水を魔法で出してもらったりしていたか……。
「よく見るのは火や水の魔法ですね」
「なるほど、確かに生活の上ではその二つが主になるね。でも、実際には魔法には四つの属性がある」
「地、水、火、風。この四つだねー」
 俺の横で先生の説明を聞いていたステラが教えてくれる。
「そう。そして、世界はその四属性で作られているというのがこの世界の考え方でね。つまり魔法とは世界の構成要素を呪文によって自由に操れるというようなものなんだ」
 四属性で世界が形作られる……俺のいた世界でもそんなことを語っていた哲学者がいたような気がする。しかし、魔法と聞くと空を飛んだり、人や物の姿を変えるイメージを持っていたが、どうやらこの世界の魔法は少し違うらしい。それでも元の世界では考えられないような力だが。
 ふむふむ、と頷いていると、俺がここまでの話を理解したことを察して先生が再び口を開く。
「次に魔法の種類についてだ。これは大きく二種類に分類することができる。最初は『定型魔法』……これは実際に見てみた方がわかりやすいだろう。ステラ君、実演をお願いできるかな」
「はーい」
 ステラが軽く集中する様子を見せると、彼女の右手から青い光が放たれ、魔法陣を刻む。
起これユグジストック──『火』ファグマ
 ステラの唱えた呪文によって、こぶし大の火の玉が彼女の手のひらの上に生まれる。
「これはわたしやステラ君がいつも使っている魔法の形式とは違うのだけれど、つゆだく君は違いに気づいたかな?」
 違い……いつもと違って呪文が短いようには思ったが。
 いや、そうか。
「最初の呪文が違う……?」
「その通り、よく気付いたね。呪文の最初の言葉……これは起動詞というのだけれど、これが『定型魔法』といつもわたしたちが使っている魔法とはでは異なっている」
 ふふん、と自分が魔法を使ったわけでもないのになぜか胸を張る先生。
 確かに初めて魔法を見せてもらった時もステラが火を起こしてくれた時も、『想起せよ』イグルストジオという言葉を使っていた覚えがある。
「扱いやすさが特徴で、世間一般……というかほとんどの人はこちらの形式の魔法を使っているね」
「へえ……。でも、呪文以外の違いがいまいち分からないんですけど……」
「確かに。ただ火を起こすような簡単な現象なら大した違いはないね。では、その違いを理解してもらうために次の魔法『汎用魔法』を説明しよう」
 派手なのを頼むよ、という先生の言葉にステラは頷くと手のひらの炎を消し去り、別の呪文を唱え始める。
想起せよイグルストジオ──六連たる猛き水よシクス・へクタ・フォンテ剣の如くエスパダ
 それは『定型魔法』と比べて長い呪文。そして、そこから生み出される違いは明らかなものだった。
 ステラの右手の始動石から放たれた青い閃光はこれまでに見たことのないような複雑な文様となり、彼女の周囲に大量の水を紡ぎ出す。さらに、その水が宙を踊ったかと思うと、六つの渦となり逆巻き、それぞれ剣の形となる。
 その結果に満足したように笑みを浮かべたステラは、さらに呪文を紡ぐ。
飛び、弾けよ!ヒュンテ・ブレイカ
 その言葉にステラの周囲に浮いていた水流の剣は意思を持ったように天へと向かって飛ぶ。
 そして、パンッという音とともに弾け、宙に散った水が雨のように先生に降り注いだ。
「すっご……」
 俺は目の前の少女が起こした奇跡のような現象に驚くことしかできない。
「ふふふ。どうだい、これが『汎用魔法』だ。『定型魔法』との違いはこの拡張性でね。決まった形、量でしか出力できない定型と違って汎用は自分の創意工夫で様々な現象を──へっくちょい!」
 突然の大きなくしゃみ。
 先生は自慢げな顔で解説を行っていたが、ステラの魔法で降り注いだ水をもろに浴びてずぶ濡れになっている。
 少し生活をともにしただけだが、この人は基本的に運がないというか残念な人のような気がする。
「大丈夫すか……」
「うむ……。ステラ君、派手にとは言ったけど、これからはもう少し周囲に影響が出ない形で頼むよ」
「わわ、ごめんなさい」
 ステラはあわあわとしながら、取り出したハンカチで先生の顔を拭き始める。
「……と、このように、魔法には大きく分けて二種類があるわけだ。簡単に使えるのは『定型魔法』の方だが、わたしは断然『汎用魔法』をおすすめする」
「でも、俺は料理に火や水を使えればいいなと思ってるくらいで、別にそこまでは……」
 魔法にあこがれるような歳でもないし、それよりも今は異世界の食材を使った料理に興味がある。
 しかし、先生は首を振って俺に諭すように言う。
「いずれ君にも魔法の力が必要になる。今のうちに備えることだ」
「俺に……ですか?」
 先生の口調はしごくまじめなもの。それは生活のためではなく、さっきのステラのような強力な力が必要になるということだろう。
 それは一体どんな状況だろうか。転生した直後に聞いた魔獣や例の災厄のことが頭をよぎる。
「とはいえ、心配することはない。なにかあっても今はわたしとステラ君が君を守る」
 なにに変えてもね、と微笑む先生とそれに頷くステラを見て俺は複雑な気持ちになる。
 どうして、彼女たちは知り合ったばかりの俺にそんなことを言ってくれるのだろうか。
「……!」
 そこまで考えて俺は大変なことに気づく。
 まずい。これは非常にまずい。
「ふふ、どうしたのかなつゆだく君。うつむいてしまって、怖くなったのかい」
 大丈夫、大丈夫と言って先生は自慢げな笑いを放ちつつ俺に近寄ってくる。
 違う、怖くなったわけではない。
 だが、しかし、これは……。
「あ、あの……透けてます」
「言いたいことがあれば何でもいいたまえ。なにせわたしは君の──え?」
「だから……その、服が、透けてます」
「服?」
 そこまで言って先生は自分の格好を確認する。ステラの魔法でずぶ濡れになった白衣と薄いシャツはぴたりと身体に張り付き、その下にある肌着をあらわにしていた。
「……あれま」
 そこは「きゃー」とかだろう、というつっこみは心の中でしかできなかった。



 異世界の下着事情を偶然にも知ってしまった後(元の世界のものは知らないが)、先生の服が乾くのを待っている間に魔法についてさらに詳しいことを知ることができた。
 先生はたき火の前で半裸だったので、ステラからの説明だが。
 まずは魔法の成り立ちについて。
 魔法とは先ほど先生から説明されたとおり、四属性の力を操れるという技術らしいが、この魔法も実は魔王からもたらされたものらしく、詳しいことはよく分かっていないらしい。
 この世界を統べるという魔王とは一体何者なのだろうか。こちらで生活を続けていけばいつか会えたりするのかもしれないが。
 そしてもう一つは『始動石』……左手の甲に埋まった青い宝珠が魔法を使うための媒介であるということ。人工的に埋め込まれるものらしく、五歳の誕生日に公共の施設で始動石を埋め込む儀式というものがあるとのこと。
 これは住民登録のようなものも兼ねているらしく、魔王は始動石を介して人口など国の構成要素を把握しているらしい。ただ、転生してきた俺がなぜ始動石を宿しているのかは、ステラには分からないという。
 転生か……。ステラが言うには先生が突然、俺を家に連れてきたらしい。
 分からないことばかりで今まで聞きそびれていたが、俺が転生してきた理由や、なぜ先生がそれを知っているのかについて、聞いておいた方がいいのかもしれない。
「待たせたね」
 ちょうどそんなことを考えていると、服を乾かした先生が戻ってきた。
 俺は改めて先生、もとい銀丞について考えてみる。
 銀丞。正体不明で、初対面で自分を先生と呼ばせる変わり者。……でも、一緒に生活していて思うのは悪い人ではないだろうと言うこと。
「どうかしたのかい?」
 首を傾げて、俺を見る先生。
 俺は先生の意外に澄んだ瞳を見て、なんだか転生の理由について聞くのを躊躇ってしまった。
 なんだか、藪蛇を突くような気がして。
「いえ、なんでもないです。それより、はやく街にいきましょう」
「そーだよ、待ちくたびれちゃった」
 俺とステラの言葉に先生は頷き、もう少しで見えてくるはずだよと、歩みを進める。
 ステラと並び、俺は先生の背中を見つめる。わからないことだらけだが、信じられる人間は今、この世界にはただこの人とステラだけなのだ。





「ついたよ、つゆだく君。ここが魔王陛下の作った五つの街の一つ。赤き時計の街『エリュン』だ」
「これが……」
 先生の家から草原を抜け、丘を越えた先。そこには石造りの街が広がっていた。
 全体的な雰囲気は元の世界でいうところの古い西洋の街並み。計画的に作られた街のようで、石畳の大通りに沿って規則正しく家々が立ち並んでいる。
 また、街の作りもだが往来する人々の格好も綿製のようなシャツや革製の靴など、中世のヨーロッパによく似たものなのが印象的だ。
「見て見て、つゆだく!」
 街の正門を抜けたところでステラが正面の巨大な塔のような建物を指さす。
 それはどうやら時計台のようだったが、要の時計部分がなんと炎で作られていた。どういう原理か火の大輪が宙に浮き、同じく炎で作られた二つの針が数字らしき記号を指し示している。
「おおー……」
「すごいよねー」
「素晴らしいだろう。あれがこの街の象徴でね。あの炎の時計台を由来にして、ここは『赤き時計の街』と呼ばれている」
 時計台に見惚れていると、先生が説明してくれた。
 関係ないが、やはり先生の格好はこの世界でも異質なものらしく、ばさばさとはためく白衣が人目を引いているのが気になる。
「あの燃える時計も魔法で作られたものなんですか」
「ああ、大昔……それこそ『契の大厄』の頃にとある魔法士が唱えた魔法だ。それが今でも効果を発揮している」
「たしかその大厄って数百年前って話じゃ……。その時の魔法がまだ残ってるんですか」
「古代の強力な魔法らしくてね。一説にはこの世の終わりまで燃え続ける……なんて話もあるくらいだ」
 まゆつばものだけどね、と肩をすくめる先生。
 俺は過去から燃え続けるというそれを見て、この世界が本当に魔法で成り立っているということを改めて実感する。
「さて、つゆだく君。せっかくの街だ、なにか見てみたいものや欲しいものはあるかな。わたしがおごってあげよう」
「え、おごってくれるんですか」
 失礼な話だが、これまで一緒に過ごした経験上から、先生がなにかおごってくれるような人間には思えなくて聞き返してしまう。
 しかし、先生はきょとんとした表情でこう告げた。
「いや。だって君、無職だろう?」
「……」
 無職。
 言われて気付いたが、確かに今の俺は無職だ。
 転生したから、という理由があるとはいえ意識し出すとかなり恥ずかしい気がしてくる。というか、俺は今まで白衣のお姉さんに養われていたということか……。
「いっそ今からここで職探し、ってできないですかね……」
「無理して働かなくてもいーんだよ?」
 なぜか慈悲深い笑顔でステラがヒモ男に向けるような台詞を言ってくる。将来的に悪い男に引っかかりそうで心配だが、今はとりあえず流しておこう。
「うーん、少し難しいかもしれない。就職は政府が管理しているし、君の場合は状況が特殊だからね」
 状況が特殊。つまりは転生してきた俺がこの異世界に溶け込むのはまだまだ難しいということだろう。
「まあ、あきらめてわたしに養われるといい」
「ヒモになることを自分で認めるのって、勇気いりますね……」
 とはいえ基本的な食料であるキュケは配給制だというし、割に牧歌的な生活であるので家事や料理で貢献すれば家事手伝いくらいは名乗れるだろう。
 帰ったら家中の掃除でもするか……。
「ね、つゆだく。お話終わったなら一緒に遊びに行こうよー」
 俺が自分の中にかすかに残っていた男の矜持を捨てていると、ステラが手を引いてくる。
「あ、ちょっとステラ」
「せんせー、いいよねー」
「ああ、ステラ君が一緒なら大丈夫だろう」
 先生はそういうと小さな革袋をステラに渡す。
「これがお小遣いだ。つゆだく君、あまり無駄遣いはしないようにね」
「あ、はい」
 なぜ俺だけ注意されたのだろうか。
 そんなことを考える暇もなく、俺は少女に手を引かれいく。
 しかし、先生は動かない。
「あれ、先生は一緒にいかないんですか」
「わたしは人と会う用があってね。ステラ君とのデートを楽しんできたまえ」
 デートって……。
 まあ、こうなった以上しかたない。なにか料理に使えそうな食材を探しに行こう。あわよくば牛丼の材料になるものを。
「いってきまーす!」
「いってきます」
 そして、俺とステラは先生との集合時間を決めた後、街の中心部へと向かって歩いて行く。
 さあ、異世界の街を見て回ろう。



 街の路地裏。人通りのない薄暗い通りに重苦しい外套をまとった三人の男がいる。それぞれの顔はフードに隠れて見えないが、まとう空気からまっとうな市民でないことは察せられる。
「……それで、例のものは?」
「はい、ファロティエ卿から預かっております」
 一人の男が小さな包みを取り出す。
 包みは薄汚いものだったが、それを受け取った男はそれがまるで天から与えられた至宝であるかのように扱う。
「ふっ、これで世界は変わる。永きにわたる魔王の支配を打ち崩すことができるのだ」
 男は包みを開け、中身を取り出す。
 それは古ぼけた金属製の腕輪だった。
「──我ら『勇者』の手で革命を」

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