銀の談話室にて、深淵を覗む

しがない世界で牛丼屋

二話「はじめての異世界料理」



「さあ、召し上がれ」
 そういって先生が出してきたのは、紙に包まれた棒状の物体。
「これは?」
「『キュケ』という万能食でね。この世界で人間が食べている唯一のものだよ。これがあるから、この世界で料理という技術は衰退し、失われた」
 この世界に料理という技術はない。そう聞かされて、持っていた先生の大事な壺を取り落して粉々にした後、俺は居間にあるテーブルで先生、ステラと共に料理のない世界の食事を体験している。
「これが、この世界の食べ物……」
 見た目は棒状のクッキー。なんらかの粉を練って焼いたもののようで、七~八センチほどのものが二つセットで入っている。
 飾り気のない包み紙をはがすと、表面が少し崩れてテーブルの上に屑が落ちる。どうやらかなり水分が少ないようだ。
「いただきます」
 さっそく口にしてみるが、なんというか──
「ぱさぱさで、無味無臭……ですね」
 異世界の文化をどうこういうつもりはないが、これが食事とはあまりに味気ないように思う。
「味は……そうかもしれないね。だけど栄養面は完璧だ。これを日に三度食べれば人間に必要な栄養素を完璧に摂取することができる」
「そうだとしても、もっとおいしいものを食べたい、とか思う人はいそうですけど……」
 元の世界では、食事は栄養摂取という側面以上に娯楽としての要素が強かったように思う。まあ、そのせいで暴食が祟り、病気になるという話もよくあったが。
「うーん、でもわたしは生まれてからずーっとこれしか食べたことないからなあ」
 俺の横に座ってキュケをかじりながら、ステラはそれが当たり前だというように語る。
「……」
 俺は思わず一口かじったキュケを見て、生まれてからこのぱさぱさの塊しか口にできなかった人生を想像する。
牛丼はこの一億倍おいしいというのに……。
「実はこうなったのには事情があってね。ちょうどこの世界の説明にもなるから説明しておこう」
 そういうと先生は、キュケを置いて話し始める。
「料理、という技術はこの世界にも存在はしていた。それはわたしのコレクション……先ほど君が粉々にしてくれた遺物から見てもわかるだろう」
 たしかに。俺が落としてしまった壺だけではなく、ステラが捨てようと集積した遺物の中には、たしかに鍋や器のようなものが見受けられた。
「しかし、料理はこの世界から姿を消した。それにはこの世界を襲った大きな災厄が関係している」
「災厄……ですか」
「ああ、それが『契の大厄ちぎりのたいやく』。詳細不明、原因不明……なれど人間の数が千分の一になるほどの災厄だったと言われている」
「せ、千分の一……?」
 この世界に人間がどのくらいいたのかはわからない。だが、それが千分の一になったというのなら、途方もない数の命が失われたことになる。
「すっごく昔のお話だよ。わたしも本で読んだから知ってるんだー」
 キュケをかじりながら、ふふんと胸を張るステラ。
 どうやらその反応を見る限り、『契の大厄』はおとぎ話や伝説に近いものなのだろう。
「そう、今や伝承として語り継がれるだけとなったが、実際に『契の大厄』は起こっている。そして、それを機に忌むべき存在がこの世に生まれ落ちた」
 忌むべき存在。魔法を見たあとは強く意識させられることは少なかったが、ここにきて急に異世界らしい言葉が出てきた。俺は元の世界ではゲームなどはあまりやらなかったが、はてさて話について行けるだろうか。
「それが『魔獣』、人を襲う獣だ」
 魔獣。先生とステラからは、ほのぼのとした空気しか感じなかったので、そんな脅威があるとは微塵も考えていなかった。
「未曾有の大災厄、魔獣の襲撃。かつてない危機に陥った人間たちはなんとか生き残ることができたものの、それまで積み上げてきた文化のほとんどを失ってしまった」
「それで料理も……。でも、ステラが言ったようにその災厄って昔の話なんですよね。だったら、料理の技術も少しくらいは回復してそうなものですけど……」
 災厄で技術が喪失したというのは理解できる。だが、焼いたり、煮たりという簡単な調理法すらも失われたままというのは変な話だ。
「それにはキュケの登場が大きい。田畑……いや、人間が住める場所をほとんど失った状態で人が生きていくにはこの万能栄養食は都合が良かったんだ」
「……ん? でも、それってなんだかおかしくないですか。人間の数も住む場所もほとんど失われていたのにキュケなんてどこから……」
 このキュケだって恐らくなにかの穀物を主原料にしている。それにキュケには明らかな調理……料理の技術が使われているのだ、災厄に飲まれた人間たちがこんなものを作ることができたとは思えない。
「それはねー、ステラが教えてあげる!」
 先生の答えを待つまでもなく、ステラが金髪を揺らしながら嬉しそうに俺の問いに答えてくれる。
「『魔王』様が人間を助けてくれたから、なんだよ」
「ま、魔王……?」
魔獣の次は魔王か。名前からは人間を助けてくれるような存在には思えないが……。
「そう、魔王。といってもそう呼ばれているだけの人間だけれど。突如現れた魔王は『契の大厄』を鎮め、魔獣を退け、人の都を造り上げたんだ」
「それでね、お腹が減ってる人たちみーんなに、キュケをくれたの。今でも、キュケは魔王様がみんなにくれるものなんだよ」
 なるほど。つまり、大きな災厄で人間が滅びかけたところに魔王という救世主が現れ、その際にキュケという万能食の文化が、料理という文化を食いつぶした……ということだろう。
「……んん?」
「つゆだく? どうかしたの?」
「いや……」
 俺は大変なことに気付いた気がする。
 この世に料理が存在しないということは──
「まさか『牛丼』も存在しない……?」



 2

考えてみれば当たり前のことだった。
 料理というものが衰退しきった異世界で、牛丼が存在するわけがないと。
「うっそ、マジかぁー……」
 転生してから初めての食事会を終え、俺は初めて外の世界に出ていた。
 そこは元の世界では見たことのないような広大な草原。ちょうど時刻は夕闇が迫る時間帯で、幻想的な景色がどこまでも広がっていた。
 先生の家はどうやら人里離れた場所にあるらしく、周りに人の気配はない。
「しっかし、いい景色だなー……牛丼ないけど」
 ぼーっと遠くを見ていると、地平線のあたりに巨大な塔のようなものが見える。それも一つではなく、一定の距離を置いて何本も何本も。
「なんだ……あれ」
「あれはねー、『ラグイルの塔』だよ」
 膝を抱えて座っている俺の横に少女の姿。
ステラだ。落ち込んでいる俺を心配して、様子を見に来てくれたのだろうか。
「塔? すごい大きさと数だな」
「あれも魔王様が作ったものなんだってー」
 くっ……おのれ魔王、俺から牛丼を奪っただけでなく、これ見よがしにあんな塔まで建てているとは。
 ……まあ、完全にやつあたりだが。
「つゆだくは、さっき言ってたギュウドンっていうのが大好きだったんだよね」
「……この世で最高に美味いものだからなあ」
 自分の言葉で塩野屋の牛丼を思い出し、悲しくなってくる。
「へえー。ねえねえ美味しい、ってどんな感じ?」
「どんな感じ?」
「うん、わたしキュケしか食べたことないから。どんな感じなのかなーって」
 ……そうか、この子は生まれてから毎日同じものしか食べたことがないから、美味しいと思ったこともないのか。
「……」
 ステラは俺の真似をしているのか、横で膝を抱えて座っている。夕日に照らされて、もともと可憐な彼女は一層、輝きを増す。
ただ、はにかんだような表情に俺はなぜか影を感じたような気がした。
「美味しい、か……」
 ……俺の夢は料理人になること。
 なら、どんな世界でだって美味しいものを食べたいという子がいればやることは一つだ。
「──じゃあ、作ってみるか。美味しいもの」
「え、作る……?」
 俺の言葉に驚くステラ。
「ああ、『料理』をするってことだ。別に禁止されてるわけじゃないんだよな?」
「う、うん……! でも、そんな簡単にできちゃうものなのかな?」
 目をきらめかせて俺に詰め寄ってくるステラ。
 この師弟はテンションが上がると、人との距離感がおかしくなってしまうらしい。
「たぶん、な。俺もぼーっと景色を眺めていたわけじゃないんだよ」



 3

「あった、これはどうだ?」
俺は草原に生えていた草に小さな赤い実が生っているのを見つけて、ステラに問う。
「ナディの実だ! それはたぶん大丈夫、鳥がよく食べてるよ」
 俺とステラは料理に必要な食材を草原で探していた。牛丼がないことにショックを受けて草原を眺めている時、食べられそうなものがいくつかあるのを見つけていたのだ。今はその候補をステラ助言のもと、総当たりで探っている。
「さっきの青い実はひどく苦かったからな……」
 それでも俺は躊躇なく、赤い実……もといナディの実を口へと放り込む。ステラはキュケ以外のものを口にすることに最初は抵抗を覚えていたようだが、すぐに慣れたようで今は嬉々として色んなものを試食している(とはいえ、最初の味見は俺がやっているが)。
「……ちょっと酸味が強いけど、食えるな」
「く、口がきゅってする……」
「それは『酸っぱい』だ。うん、これは口がすっきりしていいかもな」
 これなら、アレを作れるかもしれない。
 材料は限られているが、ステラに生まれて初めての美味しいを味あわせてやりたい。
「よし、ステラ。ナディの実をたくさん集めよう」
「はーい!」
 喜んであたりの草むらを探るステラ。
 思えば奇妙なことになったものだ。元の世界に帰れるかもわからないのに、知り合って間もない子を喜ばせるために料理をしようとしている。
 まあ、でもいいか。生き返ったようなものなのだし、柄にもないことをしてみるのもいいだろう。
「つゆだくも! はやく集めてー!」
「おー」
 なんだか、娘がいたらこんな感じなのだろうかと不思議な気持ちになった。



「いい感じだな。これだけあれば十分だろう」
 両手に山盛りになったナディの実。群生していたのか、時間はかからなかった。もう少しで暗くなる時間だったので、手早く集められたのはありがたい。
「たくさん集まったけど、これをどうするの?」
「こいつを使う」
 俺は先生のコレクションだった何枚かの皿と、素焼きの壺を取り出す。
 言っておくがくすねてきたものではない。
 食事の後、ステラにいらないものを整理するようにと詰め寄られ、先生は大量に積まれていたガラクタの大部分を泣く泣く処分した。
その時に料理に使えそうなものを拾っておいたのだ。
「これでナディの実の『ジャム』を作るんだ」
「じゃむ……?」
「ま、出来上がってからのお楽しみだ」
ちなみに、家の裏に川があったので、そこで器は洗浄済み。ついでに俺とステラ、ナディの実も。初料理でいきなり食中毒など目も当てられない。
「さてと……」
 まずは石を積んで簡易のかまどをつくる。
 キャンプの経験はないが、幼少の頃に友達がおらず河原で石を積みまくっていた経験が生きたのか、かまどは非常にいい出来だった。
「かまどができたら、素焼きの壺を据えて、ナディの実を入れる」
 鮮やかでみずみずしい実は濡れて、美しく輝いている。すこし食べてみた感じ、元の世界の桑の実に近い味だ。ただ、野草だからか荒々しい酸味が強いのが気になるところ。
「次はー?」
「火にかけてじっくりとナディの実を煮るんだ。形がなくなるくらいまで」
「火?」
 首を傾げるステラ。それもそのはず、かまどには火どころか、薪もなにも入っていない。
「この世界だからできる料理……それがこれだ」
 俺は右腕を掲げ、かまどに掲げる。
 この世界に存在する『魔法』。先生が俺に見せてくれた、あの火の魔法を使えば、楽に料理ができるという寸法だ。
「…………」
 右手を掲げて待つも、俺の右手と同化した青い石はなんの反応も示さない。
「もしかして、つゆだくは魔法が使いたいの?」
 見かねたステラが声をかけてくれる。
「……ああ」
 右手を無様に掲げたまま答える俺。
「じゃあ、呪文を唱えないとだよー」
 む……そういえば先生もなにか呪文のようなものを唱えていたような覚えがある。この石があれば自由に魔法が使えるというわけではないのか……。
「じゃあ、わたしがやったげる。あの石が積みあがったところを燃やせばいいんだよね」
「お、頼めるか」
 たしか、先生はステラを一流だと言っていた。ここはお手並み拝見といかせてもらおう。
 しかし、なにかさっきの言葉が引っかかる。
「……ん? 燃やす?」
想起せよイグルストジオ──」
 脳裏を嫌な予感がかすめたが、先生お墨付きのステラは迷いなく魔法を行使。青い光の軌跡と共に陣を紡いでいく。
猛き焔よヘクタ・イグニス立ち上れ!ヴァルト
 瞬間、眼前に火柱が上がる。
 ゴオォ、と冗談みたいに燃え続けるそれは、火中の実を炭にしただけでは飽き足らず、俺の前髪を焼き焦がしてきた。
「あっつぅ! 待って待ってなにこの火力!」
「え、燃やすんだよね? 形がなくなるまで」
 いきなり恐ろしいことを言い出すステラさん。
 ……どうやら『煮る』という意味がわからず、流れから「形がなくなるまで焼き滅ぼす」と解釈してしまったようだ。
「ごめん、ちゃんと言葉から教えていく……」



 4

 魔法の使えない俺と、魔法は得意だが料理を知らないステラの調理は困難を極めた。なにせ料理という概念すら知らずこれまで育ってきたのだ。『煮る』という意味を教えるのも一苦労だった。
 そして、たくさん集めたナディの実を半分ほど丸焼きにした後(丸焼きの実は俺がおいしくいただいた)、ついに魔法で理想のとろ火を完成させることに成功。
「いいぞ! 今すごくいい感じだ!」
「おおおー!」
 思わず二人してはしゃいでしまう。
 後はこのまま煮詰めれば……。



 最高のとろ火魔法を作り出してから数十分後。
 俺とステラはこの世界に料理を取り戻した。
「よし、これでジャムの出来上がり」
 名付けて『ナディジャム』。
 砂糖は使っていないが、熱したナディの実は酸味が抑えられ、逆に甘味が出てきたので問題ないだろう。
 それよりもナディジャムか……。先生のネーミングセンスを馬鹿にできる立場ではない気がしてきた。
「このどろどろになったナディの実が料理……?」
 ステラは見た目に少し引いているようだが、それは想定済み。キュケ以外を食べ慣れないステラにでも喜んでもらえるように工夫は考えてある。
「ほら、これで完成だ」
 俺がステラに差し出したのは、砕いたキュケを一口大の小さな器状に固め、その上にたっぷりとナディジャムを乗せたもの。
 『ナディジャムのタルト』とでも言おうか。
 キュケを食べた時にスコーンやクッキーのような食感だったので思いついたが、思ったより様になっている。
「わ、わー……!」
 タルトを見たステラの瞳が輝く。
「きれい! 宝石みたいだよ!」
「そうだな、熱で変色しなくてよかった」
 そして、喜ぶステラにタルトを渡す。
 最初の一口は異世界のお嬢様に差し上げるのがマナーというものだ。
「こ、これ、ほんとに食べていいの……?」
「そのために作ったからな。どうぞ、召し上がれ」
 俺の言葉に頷くと、ステラは小さな口いっぱいにタルトを頬張った。
……ジャムの味見はしたが、初めての食材で作った異世界の料理に少し不安が残る。
はたしてステラの反応は──
「~~~!!」
「ちょ、ど、どうした!」
 口をいっぱいにしたまま震える続けるステラ。予想外の反応に失敗したかと思うが、すぐにそれが勘違いだと気付く。
 なぜなら、ステラの顔が幸せに満ちていたから。
 まるで、牛丼を食べてる時の俺のように。
「……ステラ」
「ふぁ、ふぁに?」
 口を幸せにつつまれた少女は、もごもごとこちらの呼びかけに答える。そして、俺は彼女に一つ教えてあげる。
「それが美味しいってことだよ」
 人の好みはわからない。
でも、今だけはステラの表情から、そう断言できる。
「……」
 そして、その言葉自体を噛みしめるように、ステラはタルトを噛み、飲み込み、笑顔になる。

「うん! これすっごく『美味しい』よ!」

 とびきりのステラの笑顔。
 その少女の笑顔は、俺の鈍った胸を穿った。
「……そっか、美味いか」
ステラの笑顔と『美味しい』という言葉に、俺は長らく忘れていた気持ちと胸の奥が熱くなる感覚を思い出す。
 それは、初めて牛丼を食べた時、初めて自分の料理を食べてもらった時と同じ、俺が料理人になろうと思ったきかっけ。
 そして、いつか誰かに投げつけた言葉。
「……俺はあんたみたいに諦めない。自分の作りたいものでいつか誰かを幸せにする」
それは自分で自分を夢から遠ざけた忌むべき言葉のはずだった。だけど今になって、自分に夢を思い出させてくれるなんて思いもしなかった。
「つゆだく? どーしたの?」
「いや、ちょっと大事なことを思い出したんだ」
 俺は料理が好きだ。
 誰かに料理を食べてもらうのも。
 一度死んだ身、もう一度本気で夢に向かって進むのも悪くないのかもしれない。
 俺はまだ慣れない異世界の夜空の下、少女と共に初めての料理を頬張りながらそんなことを思った。

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