銀の談話室にて、深淵を覗む

しがない世界で牛丼屋

一話「失われた世界、失われた牛丼」



「つゆだくで!」
 俺はそう叫んで勢いよく身を起こす。
「あ、れ? 俺、生きてる……?」
 たしか俺は暴走する車にひかれて宙を舞い、そのまま地面にたたきつけられたはず。しかし、もやがかかったように頭がぼうっとすることを除けば俺の身体は五体満足、傷一つない。
俺は悪い夢でも見ていたのだろうか?
「起きたようだね」
 ふいに投げられる声。
声のした方に目を向けてみると、部屋の片隅に眼鏡をかけたお姉さんがいた。
 ぼさぼさの髪をざっくりと後ろでまとめ、目は虚ろなのに口元にはにやりとした笑み。化粧っ気はないが、綺麗な人だ。見れば白衣のようものを羽織っている。
 いや、というか誰だこの人。
「あの、あなたは?」
「わたしか。ふむ……」
 俺の質問にお姉さんはなにがそんなに興味深いのか、うんうんと頷いている。そして、俺のいるベッドの方に歩み寄ってくると、何故か鼻と鼻が触れ合うほどの距離まで顔を近づけて話し出す。
「わたしは銀丞ぎんじょうという。とはいえこれは名前というより称号のようなものでね。わたしのことは気安く先生とか銀丞ちゃんと呼んでほしい」
「いや、失礼ですけど、銀丞ちゃんって見た目ではないというか、なんでそんな近いんですか……」
ベッドに座った状態で距離を置くこともできず、なんとか身を逸らして顔を離そうとする俺。
しかし、銀丞と名乗った彼女はそんな俺をまったく気にせず、あろうことかさらに顔を寄せてくる。
「君と仲良くなりたいからだよ。心の距離と身体の距離は比例する。ならば親しくなりたい人物とは近い距離で話すべきだろう?」
 理論的だ、と彼女の笑みが強くなるのが見える。心理学にはそういった話があるのかもしれないが、初対面で零距離は逆効果だろう。まあ……少しだけいい匂いはしたが。
 とにかく、今は状況の把握が先だ。俺は何か事情を知っていそうな目の前の人物に現状を問う。
「……銀丞、さん」
「他人行儀だなあ。ほら、遠慮せずに銀丞ちゃんと呼んでくれたまえ」
 しかし「ふふふ」と悪い顔をして笑う白衣のお姉さんを『ちゃん』付けで呼べるわけもなく。
「では、先生で」
「むう。次善だけれど、悪くはないか……」
 なぜ先生なのかとも思うが、白衣のようなものを羽織っているし、医者や教師のようなものと思えば意外と違和感はない……ような気がする。
「じゃあ、あの、先生。そもそもこれってどういう状況なんです? 俺、たしか車にひかれたはずで……」
「……なるほど。死がきっかけになったのか」
 なにやら意味深な呟き。
「まあ、それは今はいいとして……そうだね、君には結論から言っておこう」
 口づけするほどの距離にあった顔を離し、腰に手を当てると先生は衝撃的な一言を言い放った。
「ようこそ、異世界へ。君は元いた世界とは違う世界に転生したんだ」



 2

 俺は常々考えていたことがある。例えば、大怪獣が襲って来たとか、ある日突然、異能に目覚めたとか、嘘みたいな状況が現実に起こった時、人間はいったいどんなリアクションをとるのだろうかと。
 そして今、俺は初対面の白衣のお姉さんに、君は異世界に転生したと宣言されてしまった。まさに想像した通りの、嘘のような出来事。
そして肝心の俺のリアクションはというと──
「はぁ……?」
 答えは脳が処理できないというか、考えることすら受け入れてくれず、珍妙な声が喉の奥から響いてきただけだった。
「……はぁ、か。もう少し面白いリアクションを期待していたんだけれど……」
「……それはご期待にそぐえず」
 むむ、と不満げに眉をよせられるが、面白い反応を求められても困る。
「というか……そんなの嘘でしょう? 俺が死んだとか、異世界とか……ありえない」
 やはりというか、お決まりのようだが俺はここが異世界ですといわれてもすんなり信じられなかった。
「ふむ。悪魔の証明は難しいが……。そうだね、ここが異世界……君が元いた世界とは違う証拠をひとつお見せしよう」
 先生はそういうと俺に向かって自身の右手を伸ばし、手の甲を見せてくる。そこには宝石のような青い輝きを宿した石が埋め込まれていた。接着剤やテープでくっついているのではない、文字通り肉体に埋め込まれているのだ。
「な、なんですか、それ……」
「そう気味悪がらなくてもいいだろう。だってほら、君の手にもついている」
 そんな馬鹿な、と自分の右手の甲を見てみると、俺の手にも青く透き通った石が、肉体と一体化するように埋め込まれていた。
「うわ……なんで俺の手にも」
「大丈夫、害はない。というより、この世界で生きていくためには必要不可欠なものでね」
 口で説明するよりも見せたほうが早いだろう、と先生は右手を前に突出し、なにかに集中する様子を見せる。すると石に光が宿り、その光がだんだんと輝きを増す。そして──
想起せよイグルストジオ──」
 呪文のような言葉に反応し、石から光が紡がれ、魔法陣のような文様を作り出す。
小さき焔よフェムタイグニス
 そして、続けて口にされた言葉によって彼女の右手に小さな炎が灯る。
 それは小さな、本当に小さな炎。けれど消える事なく手のひらの上で人魂のようにゆらゆらと燃え続ける。
それは俺の世界ではありえないこと。
そう、いうなればまさにこれは。
「魔法……」
「そう、魔法だ。この世界……君にとっての異世界はこの魔法を基盤にした世界でね。誰でもこんな風に魔法を使うことができる」
 作り出した炎を握りつぶすようにして消し、白衣の魔法使いは改めて俺に語りかける。
「どうだろう、ここが異世界だと納得していただけたかな」
 その言葉に、俺はしばし沈黙する。
 小さな炎を中空に作り出す。そういう事象を起こすならきっとマジックでも再現できるのかもしれない。だが、俺はその『魔法』が本物であることをなんというか実際にその目でみて、理解してしまった。
 これは嘘でも夢でもない。本当のことなのだ。
「認めてくれたようだね」
 俺の沈黙を見て、先生は満足げな様子。
「これで少しは話しやすくなった。では、順を追って説明していくとしよう」



 3

 ここが異世界である、ということに俺が一応の納得をした後、俺は先生に連れられて居間らしき場所に連れてこられた。
「では、ここで少し待っていてくれるかな。紹介したい人がいてね」
「紹介したい人、ですか」
 それが異世界の住人ということを考え、俺は少し身構えてしまう。先生は見たところ普通の人間のようだが、次は獣人や竜、果てはロボットが出てきてもおかしくはないのだから。
「わたしの弟子でね。さて、どこに行ったのだろう……って、わあああ!」
 突然、悲鳴にも近い叫び声をあげる先生。
「ど、どうしたんですか」
「わ、わたしの……コレクションが……」
 先生の視線の先、居間の一角には奇妙な形の置物や謎の石が山のように、かつ乱雑に積み上げられていた。
「なんですこのガラクタの山は」
「ガラクタではない! これは苦労して集めた先史時代の遺物なんだ!」
 それをこんな乱雑にいいい、と先生は涙目でガラクタの山を前に頭を抱えている。
 どうやら状況を見るに、誰かが先生の大切にしていたガラクタをゴミに出そうとまとめてしまったらしい。
「ほんと、困っちゃうよね」
 不意に聞こえる声。見れば、いつのまにか俺の横にひとりの少女が立っていた。
くすんだ金色の髪に、嘘みたいに赤い瞳。年の頃は十歳にもなっていないくらいだろうか。しかし、見た目の割に落ち着いた雰囲気が感じられるのが印象的だ。
「いつもいつも、片付けてって言ってるのに。せんせー全然片付けてくれないんだもん」
 可愛く頬を膨らませる少女は片付けの真っ只中だったのか大きな壺を抱えていた。
「……それ重そうだけど、持とうか」
「いいの? すっごく助かるー」
 なんだか放っておくのも悪い気がして俺が声をかけると、少女は顔をぱっと輝かせて壺をこちらに渡してきた。
「あっ! ステラ君!」
 壺を受け取っていると、先生が少女に気付いたのか一目散に駆け寄ってくる。
「ひどいじゃないかい! また勝手にわたしのコレクションを捨てようとするなんて!」
 よほど必死なのか、先生は眼鏡がずれていることもお構いなしに少女に詰め寄る。
「ひどくないですー。今朝も言ったのにせんせーが片付けてくれないのが悪いんですー」
「うぐぐ……ステラ君が実力行使に出るのはいつもならもう少し後だというのに……」
「だって人も増えるし、はやく綺麗にしないといけないでしょ。なのにせんせーは変なものばっかり持ってくるし」
 両手を腰に当て、子どもを叱るように先生に説教をする少女。しかし、彼女は自分の言葉でなにかに気付いたようで、壺を抱える俺をじっと見つめてくる。
「あれ……もしかして、この人って」
「ああ、やっと目覚めたんだよ。ステラ君に紹介しようと思ってね」
 どうやら先生が紹介したいと言っていた弟子とは、このステラという少女のことらしい。
「わー! すっごい、ほんとに起きたんだ!」
 きらきらと赤い瞳を輝かせるステラ。
「こんにちは、お兄さん! わたしはステラっていいます!」
 ぺこりと元気よく頭を下げる少女に、俺は壺を抱えたまま会釈を返す。
「こちらこそ、よろしく」
「さっきも言った通り、彼女はわたしの弟子でね。まだ9歳だが、魔法の腕は一流だよ」
「ふふん、わからないことがあったらなんでも聞いてくれていーよ」
 自慢げに小さな胸を張る少女。元の世界では死んだ魚のような目つきのせいか、子どもには好かれなかったので、こういった反応は珍しい。
「じゃあ、次は君の紹介だね。転生についてはステラ君にも話しているから、名前でも……」
 そこで固まる先生。
「……そういえば君の名前、聞いていなかったね」
「あ、たしかに」
「普通は一番最初に聞かないかなあ……」
 ステラが先生と俺をじとっとにらむが、俺自身も完全に失念していたので、何も言い返せない。
 とはいえ、いいタイミングではあるので、こちらの自己紹介もしっかりやっておこう。
「んんっ、では改めて。俺の名前は……」
 しかし、今度は俺が固まる。
「名前は……」
 ステラと先生が首を傾げている。
「名前が……思い出せない……」
 俺は驚くべきことに自分の名前を思い出せなくなっていた。記憶をたどってみるが、ぽっかりと空いた穴のように名前だけが思い出せない。
「ぐぬぬ……」
「おやおや、転生の影響かな」
 人が自分の名前を失ったというのになぜか楽しそうに笑う先生。
「ほら、せんせーにやにやしないの」
 案の定、弟子に怒られている。
「でもこれ、転生の影響って本当なんですか」
「まあ、転生なんて魔法のあるこちらの世界でも規格外のものだからねえ。むしろ、名前だけで済んでよかったんじゃないかな」
 つまり場合によっては他の記憶すら失っていたということだろうか。いや、気付いていないだけで他にもなにか忘れてしまっているのかもしれないが。
「名前名前……」
なんとか思い出そうとするが、どうやら無駄のようで、関係のない記憶ばかりがよみがえってくる。
「しかし、名前がないのは不便だね」
 ふむ、と先生は手を顎に当ててなにかを考え始める。
「いいだろう。わたしが君の新しい名前を考えよう」
「俺の名前をですか」
 名前を付けられるというのは奇妙な感覚だが、たしかに名前がないと不便なのは事実。自分でつけるのも変な気がするし、ここはあだ名だと思って受け入れるしかないだろう。
「そうだね……では『アマニエ』なんてどうだろう」
 じっと俺を見て考え込んでいた先生。
『アマニエ』。片仮名の名前はやはり違和感がある、というか妙な響きの言葉だが、異世界なので我慢すべきなのだろうか。
「ちなみにそれってどういう意味なんです?」
 しかし、さすがにこれから自分の名前となるかもしれない言葉の意味は知っておきたかったので、質問してみる。
「……近くの川にいっぱいいる魚の名前」
 答えてくれたのはステラ。
「魚の……名前……」
 予想外の由来。つまり先生はほぼ初対面の人間にマグロやニシンという名前を付けたということになる。
 ……もしかして俺、嫌われているのだろうか。
「ち、ちなみにその魚って一体どんな……」
「え、えっと……魚なのに泳ぐのが下手で……」
「下手で……」
「うろこがないから他のおっきい魚にいいように食べられちゃう……」
「食べられちゃう」
「あと生きてるのに目が虚ろだから、ウツロメウオって呼ばれてたりするお魚です……」
なるほど、どうやら白衣を着ていたのは人間ではなく、悪魔だったらしい。
「俺、なんか恨まれるようなことしましたっけ……」
 昔職場でいじめられていたことを思い出してどんよりとする気持ち。
「あれ、駄目だったかい? んー……死んだような目がよく似ていてばっちりと思ったんだけれど」
「ごめんね。せんせーって生活能力もないけど、名前を付けるセンスはもっとないんだ……」
 どうやらステラの反応を見るに、悪意ではなく純粋に壊滅的なネーミングセンスの結果らしい。
「いや、自分が死んだ魚のような目なのは……その、よく言われるので認めますけど。さすがに魚と一緒は……」
「ふーむ……」
 この際、タロウでもイチロウでもいいから適当な名前を名乗ろうとするが、それより先に先生が、なにかを思いつく。
「では──『つゆだく』というのは、どうだろう」
 牛丼。
 ここでまさかの、牛丼つゆだく。
「いやいや、なんでその言葉を知ってるんですか」
 そうだ、異世界の住人である先生が知るはずもない。
 牛丼につける魔法の言葉。たっぷりのつゆで丼を染め上げるあの言葉を。はっ、まさか異世界にも牛丼があるのか! さすが牛丼、すごすぎる!
「いや、君が目覚める時に叫んでいただろう。『つゆだくで!』だっけ」
「…………」
 そういえば、死の間際にもう一度牛丼を食べたいと思って、注文を叫んだ覚えがある。いや、しかしこれではさっきの魚の名前とそう変わらないのではないだろうか。
「つゆだく……つゆだくかあ……」
 なぜか、満足そうにこくこくと頷きながら、連呼するステラ。関係ないが、こうしていると癖などが銀丞に似ていて、師弟なのだなと感じさせられる。
「どうだい、ステラ君。いい響きだろう?」
「うん、なんだか胸がほっこりするね」
 ちょっと待て、どうして賛成の流れになるんだ。
 これではコンビニ店員が客に嬉々としてつけるあだ名と変わりない名前がついてしまう。
「ねえねえ、つゆだく! 『つゆだく』ってどういう意味なの? たぶんつゆだくの世界の言葉だよね?」
 すでに俺のことを『つゆだく』と呼ぶ少女。
 にこにこと無邪気な笑顔がまぶしい。
「あー。つゆ、をたくさんって意味だ」
「ツユ……?」
 む……そうか、これでは伝わらないのか。
「そうだな……んー『ただでさえ最高のものを、さらに最高にする』ってところか……?」
 実際、塩野屋の出汁は最高だ。
 おっと、思い出しただけでも涎が……。
「なにそれ、すっごくいい言葉だよ!」
「最高の最高か。魂の極点エンテレケイアともいえる至高の状態……いいんじゃないかな。よし、ここに君の名を正式に決定しよう。君は──」
 しまった。涎を気にしている場合ではない。
 つゆだく、という言葉が、料理の注文ではなく単純に『いい言葉』として伝わってしまった。このままでは──

「──これから『つゆだく』だ!」

 あっ、駄目だ。何かが決定的に間に合わなかった気がする。
「ええっ……」
「つゆだくは、つゆだくって名前、嫌……?」
 赤くきらきらする瞳でこちらを見つめるステラ。
 どうにも子どもと接する機会の少なかった俺は、その無垢な輝きにたじろいてしまう。
「嫌、ではない、けど……」
 実際、つゆだくって聞くとわくわくしてしまう。
「じゃあ、つゆだく! つゆだくに決定!」
 わーい、とはしゃぐステラに流される形で、俺は『つゆだく』を名乗ることになった。
 本名はもうすでに思い出せないが、おそらくつゆだくではなかったのは確かだろう。
「ふふ、我ながら素晴らしいセンスだった」
 満足げな先生に少し怒りを覚えつつも、とりあえず魚と同じ名前を避けられただけ良しとしておく。
「さて、ではつゆだく君。名前も決まったところで、食事にしようか」
 異世界の食事……! 料理人を目指すものとしてこんなに惹かれることはない。
「ぜひ! ちなみにどんな料理を──」
「あっと……そうか、詳しいことは食事をしながらと思っていたのだけれど、一つだけ先に教えておこう」
 きらりと眼鏡を光らせる先生。
 そして、俺は次の先生の言葉でこの世界が本当につまらない、しがない世界だと言うことを知る。

「──この世界で『料理』という技術はすでに失われているんだ」

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